運用レポート

現地取材

【現地取材】能登半島地震 被災地で稼働したLPガス災害バルク

2024年1月1日、石川県能登半島を震源としたマグニチュード7.6、最大震度7の地震が発生しました。地域に多大な被害をもたらした石川県能登半島地震。その時、自然災害から地域住民や利用者を守るLPガス災害バルクは、どのように活用されたのでしょうか。

今回、震災前からLPガス災害バルクを導入していた3つの事業者に、被災時におけるLPガス災害バルクの使用状況についてお話を伺いました。

Case 01 【石川県輪島市】有限会社山上石油

有限会社山上石油は、地域のエネルギーインフラを支えるLPガス事業者として、自社内に一時避難所を開設。
避難所開設と同時にLPガス災害バルクを導入しています。

代表取締役、山上剛史様にお話を伺いました。

ー災害発生時の状況を教えてください

山上さん

当時、この建物の2階にお住まいだった方が2名取り残されてしまいました。梯子をかけて、その2名を救出したのが最初の救助です。

こちらの建物は倒壊していますが、元々は2階建て。1階に人が埋まっている状況だったので、みんなで協力して瓦礫を退かしながら引き出しました。ひどい状況でしたが、幸いなことに犠牲になった方は一人もいませんでした。

ご覧のように、この辺りは倒壊した家がほとんど。当時は崩れた建物の中から「助けてくれ」という救助を要請する声がちらほらと聞こえてきます。その声を頼りに必死で救助していましたね。

また、工場内に置いてあるガス容器がほぼ転倒していたので、まずは元通りにして通れるようにする作業を優先することに。その作業がちょうど終わる頃、テレビ放送で緊急大津波警報が出たことを知りました。本来であれば、急いで高台に避難しなければなりませんでしたが、工場の安全管理も私たちの責務です。社員1名と二人でここを守ることに。もちろん家族はすぐ近くの高台に避難させました。

ー一時避難所の受け入れ状況について教えてください

山上さん

毎日ここで過ごされた方もいますし、週に数日だけ利用された方も。日中はトータルで6〜7名を受け入れていました。当社の社員も被災していたので、夜は3〜4名程寝泊まりしているという状況でした。
また、震災当初は車中泊を選択する方も多かったので、当社の敷地も車中泊用に開放することに。そこで車中泊をしていた方が数名いらっしゃいましたね。建物内、外、合わせると毎日約10名前後の方々がこの敷地内に寝泊まりしていたことになります。

仮設住宅の建設状況に合わせて、4月ごろまで寝泊まりしている方が数名いらっしゃいました。この部屋が完全に空になったのは、4月後半だったと記憶しています。

ー当時のライフラインの状況やLPガス災害バルクの使用について教えてください

山上さん

今、この時代に大きな災害が起こると、皆さん通信手段に困ります。携帯電話、スマートフォン、パソコン等の通信状況が不安定になり、停電の期間が長ければ長いほど、バッテリーを消耗してしまいます。充電する作業はもちろん、電源の確保も一苦労。このような事態になるというのは、以前の地震で明確だったので、当社ではLPガス災害バルクを設置して自衛的な燃料備蓄をしていました。

災害発生後は、LPガス非常用発電機を使って発電していたので、夜も明かりが灯った状態でした。そのため、外から見ても電気が通っていることが明確です。実際、その明かりを頼りに、バッテリーの充電、スマートフォンの充電をさせてほしいと、この施設に何名も訪ねていらっしゃいました。

他には、水が使えない、飲み水がないことも大きな困り事でした。今の時代ウォーターサーバー等の水が出る設備も多数ありますが、電気がないと動きません。そういったところで使用する電気も、LPガス非常用発電機で賄っていたので、水を汲みに来る方も多数いらっしゃいましたね。

また、今回は食事の面でも電気が必要だと強く感じました。というのも、幸いなことに避難支援物資には困りませんでしたが、インフラが整っていなければ調理することができません。そんな状況だからこそ、電子レンジが大活躍。電気は食事の際にも大いに役に立つと実感しました。

そのような背景もあり、電気は災害時に一番必要なものだと思っています。

発災は1月1日。冬真っ只中の時期だったので、暖房が欠かせません。もし夏場だとすると、冷房が使えなければ二次災害に発展してしまいます。空調が使用できるという意味でも、LPガス発電機の設置は今後まさに必要不可欠。ここで避難された方々も同じ意見だと思いますが、身を持って発電機があって本当に助かったというのが正直なところです。

続いて、被災時に有限会社山上石油を一時避難所として利用した避難者のご夫婦にもお話を伺いました。

ー災害発生時の状況を教えてください

ご夫婦

周りはほぼ全壊だったので、みんなの安否確認を第一に行いました。隣近所に倒壊家屋に挟まれてしまった方が数名いたので、救助しましたね。幸いなことに重機が近くにあり、重機を動かせるオペレータもいたので、その重機で瓦礫を退けて救出しました。そのような救助作業を必死でやっていたので、朝市の大火災や大津波警報が出たということは全然知りませんでした。それだけ目の前の命に一生懸命になっていたんですね。後で聞いてそんなことがあったのかと驚きました。

ー一時避難所として利用してみてどうでしたか?

ご夫婦

他の避難所だと、大勢の人がいる。だからこそ生活も制限されるし、ストレスが多いのではないかと想像できます。私たちは、この避難所で2世帯で暮らしており、食事もこの避難所でさせていただきました。そのような環境だったので、ストレスはあまり感じませんでした。

震災から1ヶ月経つと電気が復旧。電気が通ったらなんとか生活できると思って家に戻りました。お水は必要だったので、ポリタンクに汲んでいきましたが、やっぱり電気も必要です。当時はこんなに明るい照明ではなく、一応明かりがつく程度。それでも携帯電話が充電して使えるようになったので安心しました。

Case 02 【石川県能登町】グループホームぽかぽか

グループホームぽかぽかは2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災。震災は、LPガス災害バルクを設置した数日後のことでした。
ホーム長の田邊直樹様にお話を伺いました。

ー災害発生時の状況を教えてください

田邊さん

例年、1月1日は利用者様と一緒に新年のお祝いをします。当時も、午前中にお節料理、お雑煮を一緒に食べて、新年を祝っていました。地震発生時刻は16時10分。ちょうど夕食前だったので、皆さんホールでリラックスして過ごされている時間帯でした。

被害状況として、発生直後はホールのサッシが全部外れている状態、部屋のサッシも外れていました。また、外壁、内壁のひび割れ、天井のひび割れもありました。他には食器棚も全部倒れていました。

利用者様が18名いらっしゃったので、比較的被害の少なかったところに全員集まって生活しました。サッシが割れていたので、まずはそこを塞いで暖を取れるように職員が修繕。

私はその時自宅にいたので、急いで施設に駆けつけようとしましたが、いざ外に出ると道路は倒木や土砂崩れ、ひび割れとひどく荒れた状態です。正月元旦ということで、夕方5時ごろには陽が落ちて暗くなります。そこで当日の移動は危険だと判断し、翌日に施設に駆けつけることにしました。

ー被災当時の施設の利用状況について教えてください

田邊さん

幸いなことに、地震発生直後は利用者さんと職員、全員怪我はありませんでした。途中サッシが中に倒れてきたこともありましたが、その日は無事に過ごすことができました。

近隣には公民館や避難所があったので、そちらで過ごされる方もいらっしゃいました。ここでは、職員の家族がしばらく避難生活をしたり、修理業者の方の自宅が全壊だったので一時生活していただいたり。電気が使える状態だったため、ここで少し暖をとりながら生活していただきました。

ー当時のライフラインの状況やLPガス災害バルクの使用について教えてください

田邊さん

ライフラインは電気、水はすべて停止。すぐに自家発電装置が作動しました。共用部の電気がついたり、テレビが映る状態でしたので、自家発電装置が正常に作動したことは確認が取れています。震災の約10分後に確認の電話をしましたが、その時点ではもう電気が使えていました。
通信については、しばらく携帯電話の使用はできましたが、数時間後には途絶えてしまいました。

共用部の照明、廊下の照明、共用部のコンセント、テレビ・エアコンを使用できる状態にしていました。テレビが見れることで、正確な情報が入手できた点が大きかったです。また、コンセントも使用できたので携帯電話などの通信機器を充電することができました。

利用者様は基本的にはここから避難されることはなかったため、しばらくここで生活を続けていました。ホールは夜も明るい状態で、安心感があったのではないかと思います。災害発生から48時間後に電気が復旧しましたが、それまでこのホールで電気に困ることなく生活することができました。

Case 03 【石川県志賀町】あやめケアセンター

あやめケアセンターは、災害時における施設のエネルギー対策としてLPガス災害バルクを導入しており、能登半島地震被災時には施設利用者、地域住民に対して避難所の役割を果たしていました。

理事長の藤田隆司様にお話を伺いました。

ー災害発生時の状況を教えてください

藤田さん

当時は、初詣に出かけて大変穏やかな日でした。利用者様のご家族も大勢面会にいらっしゃったので、皆さん良いお正月を迎えられたのではないかなと思った矢先の出来事でした。

私はこちらの事務所で過ごしていましたが、その時に大きな地震に見舞われました。法人内に木造の建物が1箇所だけありましたので、その建物の被害状況が心配で、すぐに駆け寄りました。ちょうどその時、2回目の大きな地震があったことを鮮明に覚えています。利用者の方には「伏せて」というぐらいしかできず。本当に何もできないぐらい大きな揺れでした。

幸いにも利用者全員無事だと報告を受け、ひと安心しました。その後施設周辺をぐるっと見渡してみると、壁が崩れ落ちたり、床が隆起してクラックが入ったりと所々被害が見受けられます。天井からは何の水かわからないような水が溢れ出て、床が水浸しになったことも。

電気は通っていることが確認できたのでよかったのですが、すぐに水が使えないということがわかりました。
やはり、水は本当に大事。水が出ないと、この後どうやって生活をしていけばいいのかという不安が脳裏をよぎりました。

追い討ちをかけるように津波警報が出てきたので、この施設の車で、少し高台にある中学校の跡地へ避難しようと決意。車3台で高台の中学校跡地へ避難しました。道中は渋滞するほどごった返しているような状態でした。

その避難場所と施設が大変近いので、夜になるにつれてたくさんの避難者の方が「トイレを使わせてほしい」と続々と訪ねていらっしゃいました。

ー被災当時の施設の利用状況について教えてください

藤田さん

当施設は当時、入居されている方が90名弱いらっしゃいました。1日の夜に避難をされてきた方々も含めた94名が、この施設で一晩暖をとってお過ごしいただきました。十分お休みいただくようなスペースは準備できませんでしたが、できる限り多くの方を受け入れるため、廊下と空き部屋、会議室、応接室、事務室をすべて開放。それでも、ただ暖をとるだけ。大人数だったので、横になることは難しい状況でしたが、安心してお過ごしいただくことができたのではないかと思います。

ー当時のライフラインの状況やLPガス災害バルクの使用について教えてください

藤田さん

法人内の特別養護老人ホームの施設では、冷温水器を10年ほど前に導入・更新しましたが、残念ながら使用不能に。一方ガスバルクのGHP(ガスヒートポンプ)は何も問題なく、被災してすぐに稼働することができたので、まったくと言っていいほど寒い思いはしませんでした。

避難者の皆さまの出入りが激しかったため、玄関も自動ドアが開けっ放し状態。ガンガン暖房を使っていましたが、寒い思いをすることなく過ごすことができました。こんなに安全に、安心して使えるLPガス災害バルクは本当に有意義。災害時に有効なものだというのを実感しました。

 

今回取材した能登半島地震のように、大規模な自然災害が発生した場合はライフラインの寸断が起こり、地域全体の生活環境が大きく変わります。LPガス災害バルクは、多くの方が混乱した状況でも発電・空調・給湯などに活用できるため、避難者全員の安心につながります。

災害時における避難所や施設の生活環境を維持する上で、大きな力を発揮するLPガス災害バルク。
いつ起こるかわからない自然災害に対して、自衛的に燃料を備蓄すること、つまりLPガス災害バルクの設置が今まさに求められています。